中山 保夫 氏の作品群(その1)
プロフィール
中山保夫は大正11年(1922年)岐阜県多治見市に生れました。
昭和16年(1941年)多治見工業学校(現多治見工業高校)を卒業すると東京の岩城ガラスに技師として勤めることになりました。
しかし戦争のため徴兵され、すべての生活を中断することを余儀なくされました。
戦後復員した中山は地元多治見の窯業原料の会社に勤めを見出します。
しかしそこでも持ち前の探究心を発揮して30代にして工場長に抜擢され、陶土の研究に励みました。
その後、昭和34年独立し自ら開発した新陶土を駆使して世界でも類のない圧力鋳込み成型法を開発し、不可能といわれた継ぎ目のないワインカップを生
産します。
また成型技術のみならず、中山のデザインは日本の伝統意匠を洋食器にたくみにとりいれたもので、海外でも高い評価を受け、国内においても数々の産業賞を受賞しました。
平成2年宮内庁より受注を受け公式晩餐会用の食器を納入しましたが、後継者難により平成15年、惜しまれつつ製陶会社を解散するに至りました。
〜パラミタ・ミュージアムのホームページより
「中山保夫 珈琲碗皿展」
会期:2004年2月10日〜2月17日(15日・日曜休廊)酉福のホームページは、こちらから
中山さんの作品展初日、酉福ギャラリーを訪ねたところ、ご本人がおられてお話を伺うことができました。
実際に自分で作っておられなければわからないような点について、現物を手にとって説明していただきました。
それによれば、
@取っ手側にある図柄の「接ぎ」部分が、全くわからないように工夫をしてある。
Aマロン色を出すために、赤に「金」をプラスしてある。
B「金」の純度が高い。
C取っ手をウェーブ状にクロスしてある加工技術は、他では見られない。
D口の部分が四角になっている。この形成のためには独自の技術が必要。
E手書きオリジナルのカップには、底にatelier nakakyama hand drawingとある(高価です!)。
F初期の頃のロゴマークは中山家の家紋をアレンジしたもの。
G葆文窯の由来は「葆」はご本人の保夫から「保」をとり、くさかんむりをかぶせたもの+「文」は奥様の名前からとられたもの。
等々・・・・・・・・・・・・
これらの作品群は、(会社を解散されたとはいえ)まだ手に入ります。
たとえば、個展を開いたここ酉福やパラミタ・ミュージアムのミュージアムショップ等々。
中山さんの特集は、続きます(それがいつか、わかりませんが・・・・)