桝谷英哉氏の『オーディオマニアが頼りにする本1』(青年書館刊・1993)、「はじめに」より


オーディオ・コンポーネントは、複雑でかなり難解な理論から生れたものである。トランジスター増幅回路にしても、それから出る音と、その電気特性の関係は、いまだに解明されていない面も多い。それだけに、少しでも良い音をと願っている人々にとって、オーディオ・コンポーネント選びは、そう簡単なものではない。


カメラだと、自分で簡単にテストできる。レンズの解像力にしても、新聞紙を陽の当る壁に張り付けて、三脚に乗せたカメラに、超微粒子のフィルムで撮影すれば良い。後で引き伸ばせば、どの位細かいものまで写るかが解る。写真は、眼で見えるからである。音は、空中に出た途端に消える。後から、じっくり眺めることができないものだけに、良い音を探すのは困難である。


よく、オーディオ屋の店員に尋ねる人がいる。その店が、十年釆行きつけの店であっても、これはあまりお勧めできる方法ではない。オーディオショップの店員の知識も、評論家の記事を読んだマニアの話を、また聞きしたものなどから得たものであったり、メーカーのセールスマンから聞かされたりしたものの、ランダムな積み重ねによるものだからである。店員もその店で給料を貰っているかぎり、その店が儲かる事をしなければならない。店主ならなおの事である。


大抵のメーカーは、それらの店に対する卸価格を、台数によって変えているものだ。もし、もう一台でその月の同一モデルのアンプの売上げが二○台になる折に、あなたが、アンプの相談に行ったとする。客の方で、特に機種の指定がなければ上に述べた機種を、一応薦めるのが人情だ。その上、大型オーディオ店ですら、メーカーとの話し合いが上層部で行なわれていて、今月の、この機種の売上げ目標何台、てなことになると、朝礼の後で、その件のお達しがある。


オーディオとは関係がないが、先日私が木造帆船の模型を作っているのを見た友人が、ある模型屋に行って、国産品のある型番の事を尋ねたら、在庫してないと言う返事。国産品に比ぺて、舶来の方がはるかに良い、とその店員が言ったそうな。ひと味違う、と言うのである。そこで私のところに相談に来たその友人に、その店員が勧めたキットには、船を作るのに必要な小物部品が付いているかどうかを確かめる様に話したら、翌日電話がかかってきて、やっぱり先生の言う通りでした。何でも、別に、一八、OOO円位で、大砲などの小物部品が必要だとわかって、買うのを止めたそうだ。舶来品の方が、数十パーセント高価で、マージン率が多く、別に一八、OOO円の小物代が売価の上に乗っかる仕組みである。下手をすると、国産品の二倍あまり高価な買い物になりかねない。これじや、舶来品を勧めるわけだ。


生活必需品でないだけに、趣味の世界では、無駄な経費はまぬがれないものらしい。ものによっては、高価なもの程良い、と言う判定だってあり得る。かく言う筆者が、ライターだけは、昔から舶来品を使う癖がある。一OO円の使い拾てのもので、十分実用性があるのに、S‐Tデュポンを始め、10個ばかり、机の抽出に入っている。ダンヒルに至っては、4個もある。


言い訳がましく聞こえるかも知れないが、ヨーロッパに仕事に出掛けて、ロンドンに立ち寄った折に、リージェントストリートに近い店に立ち寄るのが癖になった。貿易商として、商品に目が肥えるのも必要である。チーフクラークとも顔馴染になってしまって、手ぷらで出るのも具合いが悪い。知らぬ間に、手許に4個残ったまでである。一つ一つに、旅の想い出がある、と自分で言い訳している。万年筆の方は、英語を書く関係上、アメリカ製の方が使い易いのは致し方ないが、ライターなど、良いものが欲しけりや、国産品にも、かなりあるのにと自分でも不思議なくらいである。とても、人様の事を、とやかく言えたものではない。これも、マニアだ、と言われても、返す言葉がない。


また、オーディオ雑誌の評論記事もあてにはならない。自分で使っていて、その良さを知っている者が、その機種を友人に勧めるのなら、まだ話は解る。オーディオ評論家が、自分の使っている機種の事ばかり書いたとしたら、その男は、もう評論家ではないのである。とすれば、自分が良いと思って使ってもいない者が、ある商品をほめるためには、その商品のテストをしなければならない。世に言う、ブラインド・ホールドテストに、どの位信頼性があるかは、疑ってみる必要がある。


もう二年ばかり前の話である。朝日新聞の文芸欄に、オーディオ評論家の批評が出たことがある。数名の評論家が集まって、ステレオ・カートリッジのヒアリングテストをした折、そのうち一名が欠席したと言うのである。国家の法律を決める国会に、代議士が欠席する事だってあるのだから、評論家がプラインド・ホールドテストに欠席をしたからと言って咎めるわけではない。問題は、オーディオ雑誌に発表されたテスト結果に、その男の名前がちゃんと入っていたというのである。


テストに欠席していながら、雑誌に名前が出たのはどういうわけか。その男が言うのに自分の家でカートリッジを持って帰って、テストしたそうだ。こんなけしからんブラインド・ホールドテストがあるか、と朝日で述べてあった。このことを、ある雑誌に書いた私の製作記事に入れたら、みごと、編集室から断られた。私の名前がブラックリストに載っているかも知れない。


広告を頼りにするのは、なお信頼性に欠ける。ラジオのコマーシャルに、こんなのがあった。『ターボ、と言うだけで、車を選んではいないだろうか…,』私共のターボは、同しターボでも、ものが違うと言うのである。車に限らず、我が国では、人マネが好きなために、何処のメーカーからも、同じような品物が出る。ボタン戦争が発展すると、時計までがデジアナになる。そして対抗馬がアナデジとくる。一社がDCアンプでございます、と打って出ると、ライバル社も、遅れてならじ、と同じDCを出す。段々とエスカレートしてくると、ほとんとすぺてのメーカーが、いっせいに右へ倣え。かくして車のすぺてがターボになり、オーディオ界はDCアンプだらけになる。今に、DCアンプだから、と言うだけで、アンプを選んでいませんか、てな事になるだろう。


そうなると、オーディオの勉強をするのには、ちとお脳の弱いマニアは、DCアンプでないと、良い音がしないのではないか、と思い始める。ターボエンジンには、良いところもあれば、欠点もある。DCアンプだって同じ事である。ところが、広告の使命は、ものを売る事にあるので、品物のセールスポイントを、かなり誇張しなければならない。一社が誇張すると、ほかは、更に誇張する。競争相手は、負けてはならじと、それに輪をかけて誇張しなければ、売上競争に負けるばかりか、自分のシェアまで食い取られかねない。


しかも、コマーシャル・メッセージの専門家が、セールス・ポイントを誇張した、殺し文句を作り出す。その殺し文句のひとことで、売上げが急激に増える事もある。中昧が良くって売れたのではないのだ。その上、近頃のオーディオ・コマーシャルにカタカナの多いこと。これじや、マニアが煙に巻かれても無理はない。となると、専門家でないために、理論に明るくないオーディオ愛好家が、コンポーネントを選ぶのに、何を頼りにすれば良いのか、という事になる。


まして、地方に住んでいるものにとっては、オーディオ選びは、より深刻である。思い余って私の事務所に電話をしてこられる。話を聞いてみると、近所のオーディオ屋には、現物がないので、ということらしい。残念ながら、筆者はオーディオ回路の設計屋であって、評論家ではない。私の記事の愛読者に頼まれても、ごまんとある市販品のテストをやるわけにはいかない。せいぜい、白分の使っているカートリッジなどの意見を述べるくらいだ。こんな事から、この本を書く気になった。


固有名詞を使うことで、これ以上敵を作りたくない。それでなくても、夜秋葉原のひとり歩きは、物騒なのだから…。だから、どのメーカーの、どの製品がどうのとは、この本には出てこない。読者の方々に、コンポーネントを、比較的簡単な方法で、自分でテストしてもらうように、説明したつもりである。それらの品物の動作原理を、できるだけ易しく解説してある。一度読んで解りにくいところは、三度読んでもらえば、理解していただけると思う。専門家にしか通じないような、難しい理論や、方程式は、一切使っていない。と言っても、電気はどうもと、読む前から拒絶反応を示す人々には、手の施しようがなが、そんな方々にも理解していただけるように、できるだけ易しく書いたつもりである。お役に立てば幸いである。